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日本聖公会 京都教区における 児童への性的虐待事件

被害者側代理人 公式ページ

http://www.m-fumio.com/

司祭による児童虐待事件の速やかな解決を!


最終更新日:2012.04.21

 司祭による女児への性的虐待事件が、2001年に京都教区において発覚しました。
10年経過している現在も、被害者と教会との間では係争が続いています。

 日本聖公会の聖職者と信徒の皆様には、不誠実な京都教区の対応は、被害者の尊厳を踏みにじり、今なお反省が見られず、大きな苦痛を与え続けていることを知っていただきたく、このページを作成しました。
 子供に関する不幸な事件が発覚した場合、教会は、学校は、一般社会の組織は、どのように対処すべきか?
一番重要なことは何か、教会の皆さんに問いたいと思います。


 2001年に京都教区において発覚した、司祭による女児への性的虐待事件では、被害者は明白な証拠(←pdf ファイル参照)をもって教会に訴えたにも関わらず、また、加害者自身が常置委員会で一部自白したにも関わらず、武藤六治主教は

司祭の加害行為を認めた上で不問にし、訴えを退けました

被害者父親の抗議の電話にも、強い態度で突っぱねました。

 武藤主教は一カ月後に反省して、再度の話し合いを求める手紙(←pdf ファイル参照)を出しましたが、結局話し合いを撤回し、そのまま放置しました。
教会への訴えが退けられたため、被害者は加害者を相手に民事裁判で訴えました。
 これに対し、常置委員の古賀久幸司祭は、加害者に同調して被害者を攻撃しました。
加害者側は、被害者には虚言癖があるとか、精神疾患の妄想のために訴えているとか、性的妄想のとりこになっているなどと主張しました。

 以上のことは被害を与えた側として良心のない、酷いやり方であるし、キリストの教会としては、子供を守る責任を忘れた対応です。
児童虐待を見つけたら、必ず追及して事実を確かめ、子供を危険から守らねばならない。
それが子供を預かる教会の責任です。私の関わっている人の他にも、被害者は数名が確認されております。日曜学校の、教会の子供たちです。
 主教が訴えを突っぱねるなど、もってのほかです。
事件そのものも大罪ですが、その対応においても罪深いことをしました。

武藤主教及び古賀司祭は上記の事実と責任を正直に認めることを拒み、未だに、ちゃんとした謝罪ができていません。


 わたくし、司祭鎌田雄輝は、被害者の家族の代理として正しい謝罪を求めてきました。

事実を認めて謝るのは最低限のことであります。
事実を認めない謝罪は謝罪ではありません。
 教会当局者が事実の隠蔽をし、加害者を擁護し、被害者の攻撃までしてきたのは、小さな罪ではありません。 これは加害聖職者の個人的な罪の問題ではありません。
聖職団全体の姿勢と職務的良心の問題であり、痛悔せねばなりません。
 信徒の訴えにこのような対応をするなら、それはキリスト教会の聖職ではない。

 上記の2名は、聖職として振る舞う資格がありません。
日本聖公会の主教会は、この問題に対して主体的な関与を拒み、不誠実な態度をとる京都教区の当局者に一切を任せると表明しています。

 以上のようなことは聖職達の間で片を付けるべき問題です。しかし主教会は同僚(先輩)の主教が神の名を汚しているという意識を持っていません。
日曜学校、幼稚園を抱える教会の皆さんは、特に事件の経過に関心を持っていただき、児童保護の観点から御意見を表明して頂きたいと考え、ここに状況を報告します。

マタイ福音書18:5
「わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」

6「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。」



 2008年 7月
 被害者側代理人 司祭 ヨハネ 鎌田雄輝
 日本聖公会 横浜教区 司祭 (休職中) (2010.12より刑事裁判のため実家待機中)

 TEL ***-****-****
 Mail :    nara@mbn.nifty.com


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1. 事件の概要のページへ ←

2. 京都教区による公式見解 ←

 日本聖公会京都教区第101回(定期)教区会 常置委員会特別報告( 2007.11.23 )
(PDFファイルで開く)  (642KByte)


3. 和解交渉における問題点

 

4. 京都教区主教の不誠実な態度




 現況について改善を求める代理人からの要請文 (2008.1.21)

PDFファイル (113KByte)



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