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日本聖公会 京都教区における 児童への性的虐待事件

被害者側代理人 公式ページ

http://www.m-fumio.com/

司祭による児童虐待事件の速やかな解決を!



聖公会京都教区から全国の聖公会の教会、幼稚園に送付された文書
宣言文


堀江静三氏から聞いていた話は、「セクハラ」などという言葉で表現できるものではありませんでした。
また、被害者との和解が進まず、事態が深刻であるのに、総括できる状況ではないと判断しました。

教区会代議員の聖職、信徒には考えを改めてもらうべきであると考え、以下の文書を送付しました。

pdf ファイル (144KB)

【宣言文についての応答】
京都教区第100回(定期)教区会代議員の皆様
京都教区 教区主教様

2006・12・19

宣言文についての応答


先日送付された宣言文について、以下の理由で受け入れることができないと考えたので
お返しいたします。

1. 児童に対する犯罪であるということを認めていない点

 現在、子どもの成育環境に関して様々な問題が指摘され、児童虐待の件数は増え続けています。
今回の事件は男女の問題ではなく、子どもの保護に関する問題です。
そもそも事件当初、他人に相談することができず、かなりの年月が経ってから表面化したということがあります。
このような認識があるならば、新設予定の相談窓口に有効性がどれくらいあるものか、議論が出たと思います。
現在は「児童虐待の防止等に関する法律」によって、虐待が少しでも疑われる場合は誰でも
通告する義務を負っています。
被疑者の不利益より、子どもの保護が優先されます。このことの周知と徹底が必要です。
周囲の人間はすべて、子どもを注意深く見守ってやらねばならないのです。
とにかく、これが子どもの巻き込まれた性犯罪であったという点を指摘します。
セクシャル・ハラスメントという言葉は成人女性(及び男性)の労働環境に関する言葉です。
これは表現の問題ではなくて、事件の認識に関わることです。
今回の事件は明らかな犯罪なのです。何を研修して学ぶというのでしょうか。
この言葉の言い換えはごまかしであり、致命的な誤りです。
この事件に正面から向き合おうとする誠実さを認めないので、文章全体の価値を否定いたします。

2. 今後の方向性に関して

宣言文に「被害者からの訴えに耳を傾けてきませんでした」とあります。
しかし客観的な目で見れば、教会側はむしろ事件を否定し、牧師側を側面支援し、
最高裁まで共に戦ったというのが実情だと思われます。
その上でこのような結末を迎えた以上、和解がどうしても必要であると考えます。
教区主教が「事実だったと確信し」という表現はこれらの過程を無視したものです。
京都の皆様の心労はどれほどのことかと思いますが、私はこの小さな表現の中に、教会側の犯して
しまった罪をまだ十分受け止め切れていないことを見ています。
 私たちは不幸な事件を避けることはできません。誰かの本性を見通すことも出来ません。
しかし何か起こった後で気が付いたのであれば、しなければならないことをする義務があります。
今一番しなければならないことは再発防止ではありません。
自分たちの中に悪がある事を認められないのでは、もっと奥深く悪が隠蔽され、
また悪質な事件が起こると思います。
京都教区の方々は、自分の髪の毛を白くしたり、黒くできるのですか。(Mt 5:33)
児童虐待するような倫理観、性格、性的な志向を簡単に変えられますか。
他人の隠された部分を全て知ることができますか。再発防止は誓うのでなく、神の憐れみと助けを求めるべきです。
 教区として対応をなさるのであれば、和解を第一に考えて頂きたく思います。
 被害者はまだ癒えていないと聞きます。私たちの信仰の生命は被害者の救済にかかっています。

3. 他教区との関わりに関して

考えたくはないですが、これは京都教区だけで起こりうる事件ではなく、また京都教区だけが
責任を負い、対応を考えることでもないと思います。私は日本聖公会の全教区に事件の経過を正直に
報告した上で、祈りや支援を求めるべきだと思います。
米国での神父の児童虐待問題では被害者が続出しましたが、教会上層部の隠蔽、問題の神父の異動
による被害拡大など、組織としての対応の問題が指摘されております。
各個人の対応について色々と非難する声もあると思いますが、一方、危機における組織管理の問題として、
全ての教区が学ばなければならないことは多くあると思われます。
 個人的な対応のミス、個人の責任に全て帰すべきものではありません。
私たち他教区の者は京都での経過をよく学んだ上ではじめて同種事件の被害の救済方法、
また再発防止について、よりよい対応を考えることができるのです。
繰り返しますが、これは京都だけの、当事者だけの責任問題として捉えるべきではなく、
組織として教訓を得なければなりません。審判廷がなぜ機能しなかったのか?常置委員会の議論の推移も全て、
糾弾、怒号、非難、ごまかし、不正直、などから離れ、
静かな所で、事実をゆっくり追っていった上で、報告を各教区に送付していただきたい。
過去の問題については、正直に経過を辿っていってはじめて真の懺悔と赦しに至るはずです。
立ち返ろうとする者に対する神の憐れみを教えられた、わたしたちなら出来るはずです。
この事件を受け止めることは大変困難なことですが、主の助けが私たちにありますよう祈ります。
私たち他教区の者も痛みと恥を感じているのです。
あのような紙切れなどに決意表明など書かれてもただのポーズとしか見えません。
誠実に問題に向き合い、また他教区の者にも祈りを求め、被害者の方々の赦しを頂いてください。
どうか以上のことをよく御考慮くださいますようお願いいたします。

横浜教区
沼津聖ヨハネ教会
司祭 ヨハネ 鎌田雄輝




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